このセキ・セイジには正しいと信じる夢がある。
女性支援の活動を始めて、なんだかんだで今年で6年目に入った。最初は石狩市行政さんと一緒に、在宅ワークセミナーを始めたのがキッカケだった。いあ、6年前にこれを始めたって、めっちゃ先見性すごくないっすか?w
その後、三年間石狩市さんと女性支援をさせていただきましたのち、今度は札幌市行政さんから、石狩市でやった事を札幌でもやりたいとお話を頂き、「ここシェルジュ」さんと一緒に女性支援を開始。
そして、今年。今までにはない新しい仕掛けを展開させていただいており、毎週木曜日の午後には相談会や、定期的な在宅ワークセミナーなどを開催しております。
是非、多くの方に来てほしいと思いますし、先日、テレビにも取り上げていただきました。
こういう活動をしていると、
「なんで女性支援のお仕事をしているのですか?」
なんて当然のごとく聞かれるのですが、僕の理由は二つです。
一つは。自分の祖母の生き様をこの世界の残したいから。
亡き祖母は大正12年生まれで、戦争を乗り越え、現代まで。その中で、祖母は経験しているのです。「女性の人権が問題にされなかった時代」というのを。
男尊女卑なんていう言葉があった通り、当時の女性たちは選挙権がなかった。それはつまり、政治参画が出来ないことであり、簡単に言えば、「社会を男に任せるしかなかった」というわけだ。
結果論だけでいえば、その結果…女性の人権そのものは法の下に平等かもしれないが、色濃く残る男社会…女性は昇格しにくい、ハラ被害が多い、など。先日も就活中の女性が被害にあうなど…
今でもこの状況なわけだ。特にそんな意識も、あるいは問題にもならなかった時代、祖母らは辛苦をなめた事だろう。そして、戦い、参政権を取得し、女性の人権を確固たる地位にするべく立ち上がってきた。そのことをよく話してくれた。
だから祖母は選挙といえば、朝一番に行くことを、「権利を行使出来ることを」誉としていた。この人たちがいなければ、今でも女性の権利は低かったであろう。
そんな祖母の想いを、生きた証を残したい。そんな個人的な思いと共に。
まー離婚はしましたが…結婚していた時、元奥さんが妊婦さんになって子供を産んでくれた時、「命を繋げる」事の意味を理解できました。
幾ら頑張って個人はいずれ死ぬ。しかし、自分を思ってくれた人が残り続ける限り、その希望や夢は生き続ける。記憶の中で。連鎖する命の輝きは、つながれていくことで真価を発揮するのだ。偉大な功績を残した人だけではない、大切な身内だって誰かが覚えていれば、生きる人の支えとなる。
だからこそ、命を繋いで行ける女性方が、輝けるように生きていける社会を創ることが、子供たちも見果てぬ夢を追い続ける社会になる。
ママでも夢を追える社会が通常の状態になる事。
それが、僕の一つの夢だ。
そのために、ありとあらゆる方法での支援を進めています。
行政さんと一緒になったり、仲間を集めたり。。。
そんな中で、まさにコロナ禍の影響をもろに感じています。
在宅で仕事が出来る方法は確かにある。でも、そのために必要なパソコンを用意出来ない…コロナ禍による困窮や、家庭の事情など、様々な理由で足が止まってしまっている。
このまんまじゃだめだ…
教える事も伝える事も出来る。
でも、それを活用出来る状況にない。
パソコンを購入支援金をクラウドファンディングで?そんな事を今、考えています。
取った魚を与えるのではなく、釣り方を教える。
でも、釣り竿さえ、自分の責任じゃないところで手に入らない。
これだけセカイが共有化された中で、自己責任という言葉は、あまりにも冷酷すぎる。
だから、他の方法も考えていますが、ぜひ仲間になってくれる方を募っていこうと思います。まだどーなるかわからないけども、一歩を踏み出していく。
このままじゃ、世界の宝であるママさんたちになりたいと思えなくなる。
それは何も繋げないセカイ…そんな世界なら僕は要らない。
まずは仲間集めスタートします!
イベントの参加もお待ちしています!
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